「お兄さん、お兄さん」
ある日の朝、駅へと向かう途中の道を歩いていると、背後からそんな声が聞こえた。
「あなたのことですよ、お兄さん」
俺の前に異彩を放つ小柄な少女が現れた。初夏を迎えて気温も高いのに、黒を基調とした服にすっぽりと身を包み、フードを目深に被っている。
「退屈、しているんじゃないかと思いまして」
訝しむ俺に、少女は驚きの光景を見せる。駅へと向かう人たちが、ピタリと動きを止めていたのだ。
ただ立ち止まっているわけではない。皆一様に、歩いている途中の状態で固まっている。
――まるで時間が止まってしまったかのように。
嘘だろ? あり得ない! もしかしてドッキリなのか!? 思考を巡らせてみるが、同じく微動だにしない猫や鳥を見てしまうと、もう認めざるを得なかった。
「これは『アトロポスウォッチ』と言いまして、実はこれで時間を止めているんです」
「秒針が動いていますよね。この秒針が5分を刻むまで、時間を止めていることができます」
「この秒針が5周したら時間は再び動きだす、ということです」
そんなことを俺に説明してどうなるんだ? 混乱する俺にその懐中時計を押しつけて、少女は去っていった。
「退屈、しているんでしょう? これで、その退屈な人生を面白いモノにしちゃってください」
そう言い残して。
――『アトロポスウォッチ』が、俺の手の中にある。
学園の喧噪の中、クラスメイトである光井瑠璃のおっぱいを触るために、俺は『アトロポスウォッチ』を起動する。
俺、黒瀬悠真の人生を大きく変える、初めての『時間停止』だった。